よく、どうして不登校に?と聞かれます。
そんなことこっちが知りたいよ!と言い返したくなるのをグッと堪えて笑
なんででしょうね。と
一度だけ長男が言ったのは
学校は友達もいて楽しいけど、それ以上に嫌なことも方が大きく感じてしまう
後にも先にもこれだけです
あとは、うーん、、、みたいな
でも理由なんて本人もわかってないんです。たくさん絡み合っているものだから。
私もあの言葉がすごく適切だって今はわかります。
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長男が不登校になったのは小6の3学期から。
まさにこのブログを書き始めた頃から、休みたいという日が何日かあり、3学期はじめ急に完全不登校になりました。
うずくまって毛布にくるまって泣く姿をみて、鬱だなと直感して、これ以上言っても無駄だと思った。。
もちろん行くように言ったし、最初は私もパパも理解できなかったから。
先生もなんとかして来させようと説得したり。でも本人はそんな中、車から隙を見て逃げ出したこともあったな笑
色々色々あって(いやー、、思い出せないくらいぐちゃぐちゃです)
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もともとADHDで通院していたから主治医の先生に伝えたら、エネルギー切れだと言われました。
学校側も理解してくれて、本人の言う「卒業式だけ出る」という方針で行くことになった。
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私が仕事を辞めるって言ったからこんなことになったのかとか、受験のために塾に行ったからかとか、原因探し、責任探しばかりしていたし、不登校を受け入れられない自分にとって辻褄を合わせたくて必死だった?のか、それよりも毎日毎日が苦しくて苦しくて、、仕事中に涙が勝手に流れてきてもう無理でした。
学校に行かなくていいよ、というスタンスになってからの長男は寝ている時間は長かったけど落ち着いていました。ただ私は、仕事に行くことがとてつもなく無駄で無意味で身を削られるようなそんな感覚。
こんなところに一日いなくてはいけないなら、家で長男のそばにいてあげたい。子どもが鬱になっているのに私は仕事に行くの?という自責が止まりませんでした。
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もう実家に戻ることは決まっていて3月末まで働く予定でしたが、どうしても無理だと伝えて有給も合わせて退職時期を早めてもらいました。
この時も3月までいれば退職金も変わるとか、なんだかんだ説得?されていい加減うんざりしたけど、もう私も完全に鬱だったと思うし、同僚経由で上司にそれとなく届くようにしてもらいました。
自分の辛さは上司には全くわかってもらえなかったというシコリは今も消えません。
子育てなんて今だけのもの、長男は愛情に飢えているなど、世代が違うがゆえのハラスメントは相当だったと今はわかります。まじでしんどかった。
上司だって悪気はないんです。正義だと信じる人の善意は一番人を傷つけます。でも世代が変われば正義も変わります。
これは今私がぶつかっている不登校のことにも言える。いかに自分の正義で子どもをみていたか。
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今書いていて、私が仕事に行きたくない、まさにこの感情って、今の不登校の子どもたちの感情なんじゃ?と。。
行くと自分が自分でいられない
心が死んでしまう
無駄で無意味で身を削る
きっとそうだね。
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たくさん不登校や子育て本も読み漁って心を整えようと必死で過ごしてきました。
自分に原因があるのではとも思って精神科に相談したり、カウンセリングも受けたり。
(実家に引っ越してから、次男と長女も不登校になっていたんです、、)
発達の病院も主治医と少しちがうなって言うところが出てきたから転院もして内服が変わったり。。
いろんな機関に相談や体験に行ったり。。
内省したり行動したり。。繰り返し。。朝行けなくて泣いたり。。
この辺はまた書くかもです、、
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で、なんとなくの今の私の見解
もともとADHDで学校に不適応だった問題児くん(1〜4年生、社会的発達は2.3年遅れと言われています)が成長や治療によって自分のことや周りのことがわかるようになり
頑張って頑張って5.6年生はいい子を演じた。けれど本来の自分ではなく無理をしすぎてエネルギー切れしてしまった。
今も学校というものはこうしなければならないという気持ちが強く自分にはできないとわかっている。
のかな、、、という感じです。
きっとこの先またこの見解は変わるんだと思います。今でも見えてないことはたくさんあるし、本人のことは本人しかわからないことだから一生わからないのが正解なんだろうけど。
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今このブログ書いていて本当に良かったと思う。
子どもたちの不登校で置き去りになっていた自分の気持ちと向き合えて、過去の自分の感情が今の長男にも通じるのかもと思たこと。
なんとなくは感じていたことが書くことによって点と点がつながる感じ。思考が整理できる気がします。後で読み返せるのもいいよね。
渦中の時は考えも方向性もまとまらなくて書けなくても、時間が経つと整理されていく。
時間が解決することって多いです。大体そうです。
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今は出口の見えないトンネルのようでも、きっと大丈夫。
今の積み重ねが人生。
未来を悲観せず、過去を憂うことなく、今できる最善の時間を刻んでいこう。
今日も生きてる。それでいい。