を読んで、すごくしっくりきたのが『現実を受け入れ、認めると、心の枠が広がる』というところ。
今まさにそんな感じだー!って。
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〜べき、という常識の枠に縛られていると、そこからはみ出すと、許せない、否定したくなる、嫌悪という感情が起こる。
このべきの枠があればあるほどその人が自分自身を縛ってしまい苦しめてしまう。
べきの枠の外に出ればいい。解決していく。という考え方。
良い悪いと判断するのではなく、現実をそのまま受け入れると、問題が問題ではなくなる。
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不登校に向き合うと、まさにこういう思考へ発展していくよねって実感しています。
これって子育てや人間関係や生き方においても根幹の部分。それを見直させてもらえたって本当に良かったと思う。
気付かせてもらえなかったら、今でも枠に必死に収まろうと、収めようと、否定的な感情を持ち続けていたと思うとぞっとする。
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私の場合は、子どもの不登校と自分が会社員を辞めるというところが同じ時期だったから、どちらも枠の外に、べきの外に、常識(だと思っていたこと)の外に、というのがリンクしていたのかなと思わずにはいられない。
べき、に従いながら生きてきた。周りからもそんな圧があった。必死でやったけど、無理だった。でも、この決断は自分史上最高にほめてあげたい!笑
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不登校のはじめはやっぱり、許せない、否定、嫌悪というのがあったけれど、少しずつ枠の外に出られるようになって、というか無理矢理出ては戻されたりという感じだったかな。。
行動⇨後から気持ちも付いてくると、思って動いた!
いったりきたり、でも自分の価値観や常識と戦って壊して再構築していって試行錯誤、手探り。。
で、今はかなり枠の外でも平気になって、だんだん問題じゃなくなってきたなーって思います。
だから周りとの温度差感じる笑 問題視する周りと自分とのギャップが笑 それでもいい、大丈夫。
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じゃーどーするの?ってなるんだけど、学校に行けることがゴールなんて思ってないし、それが問題解決だなんて的外れってわかる。
社会復帰ってことばもしっくりこないし、別に家にずっといたっていいって思ってる。
そんなこと言って!っていう周りにいくら説明してもきっとわかってもらえないから口には出さないけど。
そもそもみている場所が違うんだよね。
子育てとは?自立させるのが親の役目、そこまでは頑張る、みたいなのも、『枠』だから。
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べき、常識(と言われていたもの)が本当に意味のないものにあふれているってわかると、暗かった未来がなくなって、今を生きることにフォーカスされる。
問題と言われるものは、全くわからない未来のことばかりだったりする。
マスメディアに操られて目の前の個をみていなかったりする。
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『ゲシュタルトの祈り』
私は私のために生き
あなたはあなたのために生きる
私はあなたの期待に応えて行動するために
この世に在るのではない
あなたは私の期待に応えて行動するために
この世に在るのではない
もしも縁があって
私たちが出会えたのなら、それは素晴らしいこと
出会えなくても、それもまた素晴らしいこと
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今ここ、ということにフォーカスする『ゲシュタルト療法』が、自分自身を確立、自由を取り戻せるというのがよくわかる。過去や未来ではなく今。
今を見れば問題は問題じゃなくなる。
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私は私、あなたはあなた、それは親子であっても、他人であっても、同じ。
唯一無二の個として向き合う。
今この瞬間にベストを尽くして、の積み重ね。
今の楽しい時間、今の笑顔、その積み重ね。