公園でblogを書いています。
長女についていきたい次女の見張りのため笑
長女がこうやってお友達と遊ぶ姿を見ていて、書きたくなって書いているんだけど、休みの日にお友達と公園で折り紙したりゲームしたりブレボしたり、楽しそうな長女をみていて幸せだなーこれでいいんだなーって思えるっていうこと。
子育てや生き方に行き詰まってもがいている私が感じるゴールと言ってもいい。
何が言いたいかというと、好きなことをしていて無理をしていなくて、楽しい時間を過ごしているっていうこと。今の積み重ねが人生。過去でも未来でもない。
しなきゃいけない、やってはいけない、こうすべきだ、っていう時間じゃないっていうこと。
それに押し潰されている人って多いと思う。私もそうだった。今もそんなところがあるから頑張ってアップデート中。
*
仕事をしているから自由な時間がなくて、空き時間を習い事を詰め込んで、予定で詰め込まれて、少しでも建設的にとか、少しでも子どもたちが何かできるようになるようにとか、自分で自分を苦しめなくて良い。
*
どんな未来があるかとか目指さなくて良い。
今これをしていたらこんな未来が待っているとか誰にも分からないのにそう思い込んでいるのは自分。人からそう言われたってその人にだってわかっているわけない。それを信じるのか信じないのかも自分。
現に今、自分は想像もしなかったところにいるわけだし笑
こうしなければとか、こうした方がいいとか、何かしなきゃとか、何にもない。
新体操とバレエ漬けだった長女と公園でお友達と遊ぶ長女と、何も変わらないし将来も何もわからないじゃん、ってしみじみ思った、、ていう話。
*
もちろん不登校やいきしぶりや発達凸凹の対策だって同じ。正解もないし子育てはオンリーワンだし。この診断名だからこうなるとかもない。
そんなことを考えながら公園でVoicy聴きながらblogを書く土曜日。いいなぁ♡
*
10月から学校へ行けるようになった長女
2年生の頃から学校は嫌いで泣いてしまうような子でした。担任の先生は大ベテランの女の先生で経験豊富、とにかく連れて来てって言葉を信じて頑張って通いました。
3学期に長男が不登校になり、私も仕事を辞めて、不登校の勉強を始めて、無理矢理行かせることがいいことではないことも多いということを学んで。長男にとってはもちろんそれが当てはまっていて。
でも長女は?どうなんだ?同じではない気がする。でもやっぱり無理矢理はお互い辛くて良くない気もする。。もやもやもや。。。という感じで
時々お休みするという感じでした。
もちろん友達関係でも先生関係でもないのです。長女は先生のこと大好きで、学校で話してくれた先生の小話を全部私に話してくれるような子でした。転校してからもお手紙のやりとりをしているくらい。
でも学校は大嫌い。と言う
親としてどーしたらいいのか迷い迷いという感じで
で、前記事で書いたような経緯でお引越し。
*
新しい学校でも学校は嫌い、行きたくない
最初から休みがちで、週1.2.3.4..と休みが増えていって、1学期後半は不登校になりました。
その間にもたくさん本を読んだり適応指導教室や発達の機関などで相談をしたり、行った方がいい、行かない方がいい、揺れて毎朝苦しくてという日でした。
*
転機は長男の発達の病院を転院することを決めて(経緯また別記事で書こうかな)同じ病院で長女も受診を決めました。
ADHDではないと思っていたけど、繊細で敏感なところがあって、普段から不機嫌で怒りっぽくて、生きづらそうだなとずっと感じていました。私も長女に似ているところもあったからフォローや対策はしてきたつもりだったけど。
発達の勉強していくと、みんなどこかしら凸凹があって、境界なんてなくて、スペクトラムという病名になってるくらいだから、本人が困っている、周りが困っている、それが判断基準だっていうこと。そこが、腑に落ちたということが大きかった。極論、誰だって診断はつく笑
受診したらやはり、繊細敏感だから学校は刺激が強すぎるんでしょうということ。ASDに対する不安を和らげる効果のある薬を処方してもらって内服開始しました。それが9月終わり頃。
*
コロナの関係もあって、2学期開始9月からオンライン授業を開始していました。長女が行けない原因は刺激だったから、オンラインはすごく合っていて、真面目な長女は毎日オンラインを受けていました。もちろん疲れてはいたけどね。だから全く不登校で学校と隔離していたわけではなくて、先生や友達と少し交流もあったし、それもよかったのかも。
なんとなく学校以外でも内服開始してから少し変わったかな?と感じ始めていたので、前から欲しがっていたスイッチライト、学校行くなら買ってあげるよ(これは誰にでも当てはまる対策ではなく親から見て今はいいかなと感じだから)と言ったら、行く!と即返事が。
*
ちなみに不登校やいきしぶりはこんな簡単じゃないです。長女ももちろんこんなことじゃ行きませんでした。やっぱり薬の効果、オンラインの効果、その他色んな機関に相談や体験に行っていた経験、タイミング、すべてが関係していること。ダメだった経験もたっくさんあります。
*
そんなこんなで学校へ行き始めて、やっぱり嫌がることもあったけど、ここがネックなんだってことが不登校の時やいきしぶりのときに向き合ってきてわかっていたから、頑張れそうなところは頑張らせて行っていました。
*
10月に行き始めてすぐ、月末のハロウィンの日にクラスのみんなで集まろうって約束をしてきて、楽しみにしていた長女。あ、嫌じゃないんだと安心して嬉しかったな。
ハロウィンでみんなと遊べたのをきっかけに、お友達と約束をして公園で遊んだりするようになって
今も公園です。←やっと今。笑
*
こうしなきゃっていうことはひとつもない。
こう生きなきゃいけないなんて決まった人生なんてない。
好きなことして好きな時間過ごしていい。
そのままでいいんだよ。
きっと私がそう考えるように接するようになったことも良かったのかもしれない。
でもこれって本当に難しくて今でも修行中です。。