思考

アドラー流不登校の親の心理

ベッドでゴロゴロして
スマホゲームをダラダラ暇潰しのようにしている長男。

わたしはこの子に何をしてあげられるんだろう
今やってることって誰のためでなんのためでどこを目指しているんだろう

最近また少し下がっているように見えて
放課後デイに行けなかったり、公文のオンラインをぶち切ったり。

内服も意味があるのかなとか、自分がブレブレで嫌になる。
その時その時、いいと思っていることをしているつもりだけど
自分よがりで子どもを追い詰めているのかな。

ありのままでいいんだよって言えたらっていう理想はあれど
じゃあ目の前にゲーム漬けになっている現状は?
日常のことができなくて気分でコロコロ変わって
予定も立てられず振り回されている日々は
わたしが未熟で感情に振り回されているだけなんだろうか。

怒りの感情が湧くのは自分の欲が原因という。
わたしの満たされない欲のせいで子どもを苦しめているんだろうか。

もっと線を引くのを意識して、わたしはわたし、子どもは子ども
勉強しないという選択をするのは子どもで
その結果を背負うのも子ども
アドラー流に言うとそうなる。

どれだけ親が選択肢を与えたり提示してあげられるか
教育ってそう意味もある気がするんだけど
そもそもそれ自体も不要だったり
逆にできない結果を植え付けてしまうからやめた方がいいのか。
以前の発達かかりつけ医はそっちよりの考えだった。

視点を変えれば考えは変わり、良くも悪くも受け取れる。
そこでこれだけはという自分軸がないことが
わたしのそもそもの問題点なんだろうか。

今子どもで悩んでいるように、
そういうライフスタイルを自ら選択しているのだ
とアドラー流に言うとその通りなような気がする。

わたしはいつも苦労するような道を選んでいると言われたことがある。
こうやって悩むこと自体が好きだということ?
自分では苦しんでいるつもりなんだけど
その自分を変える勇気がないだけなのかもしれない。

不登校を通して
たくさんの考えが渦巻く
わたしの頭の整理整頓としての記録。

いつか読み返して、こんなこと悩んでたんだなって笑える日が来るはず。


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