長男、次男共にADHD診断がついていて、小4から内服中。
実家に引っ越しをしてきて発達の病院が変わって治療方針が少し変更に。
元々の診断や治療もグレーの領域なので、医師や親次第で治療法も様々。
今回の先生はとにかく子ども目線。
ADHDは金の卵。社長さんやすごい人たちもたくさんいる。
でもその特定ゆえに学校教育では否定される場面が多く、本人の自尊心が傷つけられてしまう。
その才能を潰して小さい人間にしないように、学校や周りから親が守ってあげること。
学校に行かなくてもいい。
学校に行かないことで引け目を感じさせたり、自分はダメんなんだと思わせないように、親が居場所を作ってあげること。
できないことはやってあげればいい、とことん過保護でいい。
できなかったことに追い討ちをかけて言わないこと、本人はわかってる。
やる前から手を貸さず、困っていたら助けること。
兄弟や周りと比べないこと。
兄弟喧嘩は話を一人一人から聞いてあげて共感する、アドバイスしない、聴いてわかってるよと伝えること。
兄弟喧嘩は無くなるし、親にも感謝するようになる、できなくても見ているからできるようになる。
こうしなければの価値観は捨てること。自分も楽になるし子どもがとても可愛いと思える。
親子関係が壊れたらおしまい、その子は行き場をなくす。
聞いていて、今までできていなかったこと、間違った接し方や価値観、私そのものだから、これを変えるにはどうしたらいいのか、本当に自分を捨てる覚悟と勇気、時間が必要だと思う。
でも、大人になってやっと気づけて親が変わって子どもも変われたという人もいるが、遅すぎる。取り返しがつかないから。
こんな話を聞いてもやっぱりすぐには変われないし、できない時もあるけど、少しずつでもいい、私が努力するしかない。
これは子どものせいじゃないんだ。
親が変われると自分の人生も変わる。子どもが可愛くて仕方がないし、失敗したっていい、この子がいると思えるようになる。
思えば小さな頃から、こうやらなきゃという思いが強くて、思い通りに動かそうとしてきたなと。いい子とは対極にいるADHDっ子を可愛いと思えず、どうしてできないのと悩んでばかりだった。
食事の時立ってしまうのは仕方ない事って先生に言われて、長男が幼児の時にこの言葉聞けてたらどれだけ救われたかなと思った。
できないことが多いと思うのは、私が自分の物差しでできるべきことを決めているだけ。
手伝ってあげたらいい、わかってるよ、子どもは。
欲しいものも可能なら買ってあげたらいい。ゲームでもいい。
子どもはゲームもやめるし、学校だって行くようになる。
甘やかしちゃダメだとか、ものを与えすぎたらダメだとか、最低限のマナーは守れないとダメたとか、学校だけは行かなくてないけないとか、勉強して運動してバランスよく食べて好き嫌いもしないでとか、あげたらキリがないような物差し。
子育てを苦しくしてしまう。
型にハメられた子は萎縮して大人になっても希望がなくつまらない人生に。
子どもを信じられないほど辛いことはない。
子どもを信じよう。