不登校

不登校児に世界はいいところだと信じて欲しい

長男くんが友達と(次男のだけど)遊びに行ったーーーー

って当たり前のことが当たり前にできない不登校児にとって特別な出来事なのだ。

嬉しくてお友達に感謝してもしきれない母です涙

もともとADHDっ子、どこにでもダメでも行ってしまう、言っても言っても聞かないような衝動型の子だった長男が、高学年になりやっと社会的成長がみんなから2.3年遅れで追いついてきて、周りがみえるようになった。結果、自分を過度に抑え込んで鬱、不登校になったとみているんだけど。。二次障害のひとつなのかと。

不登校になってからというもの、どこにいくにも不安が強くて怖くて、私から離れられなくて、話もあまりできない、という状況でした。

家では空気読めない横柄な態度でも一歩外へ出ると、という感じ。

学校、適応指導教室、病院、などはもちろん、お友達の同世代の子どもでも警戒心バリバリで大人が仲介に入り続けないと絡めなくて。

子どもでも無理かー。。と

次男は引っ越してきてからソフトボールを始めたんだけど、辞めて(この話はまた別で書きます)家でゲームをして友達と遊ぶことが日課に。

次男も発達凸凹だから本当は長男みたいに家でゲームをしていることが一番安心するんだよね

よく遊びに行ったりしていたのも減ってきて、うちに特定の子たちが集まるような溜まり場に笑

結構親不在の子達とか訳ありかな?って思う子がちらほら笑

その中の1人がよく長男のことを誘ってくれて、一緒にやろーって

自分からはいけない長男も誘われたら一緒に遊ぶようになって

本当に毎日のようにいるから笑

それが良かったのかもしれません。

ずーっと引きこもってゲームしてるんだけど、そもそもそれがデフォルトの我が家からしたら、そこに友達がいてコミュニケーションをとっているということがむしろプラスで。

多分私が実家に引っ越す前だったら、こんな時間までどこの子だとか、親は何しているんだとか、否定的に捉えていたと思うし、大部分の人がそう思うだろうとわかってる。

でも不登校や色んなことを経験して考えて、実家に身を寄せて自分にも余裕ができたおかげで、そのことがどれだけ大きなことなの?って。死ぬわけじゃないって。極論。

いわゆる常識というものを最初から疑ってみることができるようになった。

この子にはこの子の事情がある

その家にはその家の事情がある

学校で言われていることとか、なんとなくの決まりとか、そんなことばかりだから生きにくいんだって今は思う。

輪の中にもなかなか入れなかった長男が、次男の友達と外に出かけていけたことが証明してくれた。

でもやっぱり早めに帰宅してきたけど笑

それでも大きな一歩!

大袈裟かもしれないけど

ゲームだけでもいいじゃん

生きてればいいよ

将来が心配とか誰だって一緒だよ

会社員だったら将来は不安がなくなるの?

私はそんなことなかった

今好きなことに夢中になって今楽しい時間過ごして

好きなことをして生きていく感覚を身につけてるなんて

人間ってそうやりたくて進化してきたんじゃないの?

自由を得るために先人たちが頑張ってきたんだよね

同じ苦労を強いるなんて本末転倒

人類の発展を信じること

って最近思う。

外の世界は怖くないよ

希望のたくさんだよ

そう信じられない子どもたちを作って何が進化なんだろう

自殺が多い国のどこが先進国なんだろう

話が飛躍してしまったけど、こんなことを考える今日このごろ。

私は子どもたちのことを信じてるし、人類の発展も信じたい。

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